愛しい人よ

「今日も元気にいってらっしゃい!」

由美が元気にそう言うと、番組はすぐに次の番組へと切り替わった。

「お疲れ様でしたー」

「お疲れー」

「お疲れ様でした!」

次々に由美に労いの言葉がかけられる。

「ふぅー、お疲れ様でした」

最後に自分で自分を労う。今日もまた由美はプレッシャーに押し潰されそうになりながらも、何とか生放送を乗り切った。


テレビ局のアナウンサーとして今年の春から働き始めた中島由美。朝の情報番組のレギュラーに一年目から抜擢され、その三ヶ月後にはメインMCになった。これは異例の出世という事でマスコミ達にやたらと騒がれた。世間では「ナカユミ」の愛称で親しまれ、今年の夏に発表された好きなアナウンサーランキングでいきなり第三位に選ばれた彼女はまさにこれからの女子アナ界のエースという事で、彼女の周りにはいつも人があふれていた。社外でもパパラッチに追われ続け、プライベートなんてものは彼女には存在しなかった。窓の外を覗けばいつもカメラを持った怪しい人や、不自然な高級車が停まっている。

「これが女子アナか」


ようやく念願叶って、内定を貰った。内定直後にはお母さんにすぐ連絡して、一緒に泣きながら喜んだ。幼い時からアナウンサーを目指していたけれど、きっかけはとても単純だった。幼稚園の頃に日本でワールドカップが開催されて地元の新潟がキャンプ地に選ばれた。両親に無理やり連れられて新潟空港に行った時に見たイングランド代表のベッカムに一目惚れした。彫りの深い顔、笑うと急に可愛く見える顔立ち、歩くたびになびく金髪。まさにサッカー界の貴公子だった。それ以来、そんな王子様のようなベッカムのお嫁さんになる事が夢となり、どうやったらベッカムと知り合えるかを母親と考えた結果、アナウンサーになる事だった。もちろんベッカムのお嫁さんになるという盛大な不倫計画はすぐになくなるのだけど、それでも漠然とアナウンサーへの憧れは残り続けた。なんとなくだけどアナウンサーには学歴が必要だと思ったから、勉強は一生懸命頑張った。ベッカムとの結婚は諦めたけど、サッカーはずっと好きだったからその影響で小学校・中学校はサッカー部に所属し、高校・大学はサッカー選手を応援する為にチアリーディング部に入部した。

その大学時代に陽介と出会った。

陽介とは大学時代から付き合い始め、今では同棲もしている。もちろん結婚も考えているけど。でも今は完全に冷え切っている。アナウンサーになる事を応援してくれて、内定をもらった時は自分の事のように喜んでくれていた。

でも、いざアナウンサー生活が始まると陽介との溝は深まっていく一方だった。月曜日から金曜日までは毎日九時に寝て、一時半に起きる生活。一緒に暮らしているはずなのに平日は顔を見る事がない日さえある。土日は私も陽介も休みだから最初の頃は一緒に出掛けていたけど、ゴールデンウィークの頃になるとすでに私の周りには週刊誌の記者が張り付くようになった。会社に同棲してる彼の存在は伝えてないけど、会社の方から「しばらくは男関係に気をつけてくれ」と言われた。

「私はただの会社員なのに」

アイドルでもタレントでもなんでもない、ただのテレビ局の社員なのに。私は憧れのアナウンサー生活が嫌になっていた。

「私はアナウンサー向いてないんじゃないか」

そんな事さえ思い始めた。


就活中すごく覚えてる事がある。今の局の書類選考を通過して向かった集団面接。私は自信がなかった。いや、最初はあった。でも集団面接を一緒に行う四人の自信満々な感じが怖くて、自信がどんどんなくなっていった。自己PRの順番は自分が五人の中で一番最後。他の人のやり方を聞いてからできるので、正直ツイてるなと思っていた。でもそれは浅はかだった。他の人達の自己PRは完璧だった。意外性というのはあまり感じられなかったけど、百点満点の自己PRに感じた。特に四人目の人は凄かった。見た目、受け答え、全てがアナウンサーそのものに見えた。その流れを受けて私の番になった。

「では、最後に中島さん、お願いします」

「…い」

緊張が急に襲ってきて、喉が一瞬でカラカラになる。おそらくちゃんと返事は出来ていなかっただろう。

「…」

あれ?なにを言おうとしてるんだっけ?ん?そもそも私はなぜここにいるんだ?

息を飲むのも喉が痛むほど喉がカラカラになり、一瞬で頭が真っ白になり、私は何をしたいのかわからなくなった。

「中島さん?自己PRと志望動機をお願いします」

「え。は、はい」

すると私は何故か急に席を立ち、踊り始めた。ずっと頑張ってきたチアリーディングを。

「ゴー!ゴー!ファイトー!!」

そして踊り切ってしまった。頭は真っ白でも体はチアリーディングの踊りを覚えていた。むしろそれしか覚えてなかったというか。でも私は踊ってる最中、心を落ち着ける事が出来た。自分が準備していたセリフも、自分がここにいる理由も思い出せた。

「今私は正直自信を失いかけてましたが、自分自身を応援する事でやっと気合が入りました!私は学生の時にチアリーディングをしていて常に人を元気づけたり、応援していました。社会に出たらよりたくさんの人達を元気づけたり、応援したいと考え、たくさんの方々にエールを送る事ができる職業であるアナウンサーを希望します」

まあ完全に落ちたな(笑)


「今日も元気にいってらっしゃい!」

いつもの癖でテレビをつけると、面接に臨んだテレビ局の朝の情報番組が放送されている。

人が落ち込んでるっていうのに、この人は呑気だな。完全な八つ当たりをしながら、ケトルでお湯を沸かしてからスマホをいじる。LINEとメールが一件ずつ来ている。ドラッグストアのクーポン付きのLINEが一件と「面接選考結果のご連絡」という件名で知らないアドレスからメールが来ている。アドレスの@以下が面接に行ったテレビ局の名前になっている。結果はわかってはいても改めてメールを読んで現実を知るというのはなかなか酷なものだ。

「時下、益々ご健勝のことと存じます。先日はお忙しいなか面接にお越しいただき、誠にありがとうございました。厳正なる選考の結果、次回の面接に進んでいただきたくご連絡差し上げました」

え??

「つきましては、下記リンクにて面接候補日をお送りしますので、ご希望の日時を三つまでお選びください。面接の場所は添付ファイルの通りです。調整のうえ、ご連絡いただきますようお願い申し上げます」

えぇー!!

待って、待って!!え!?あの内容で受かったの?いきなり踊り始めた奴が受かるの!?

あまりの嬉しさで、由美は二日連続で踊っていた。

頭が真っ白になった後、ヤケクソで踊った面接でまさか合格をもらい、あれよあれよという間に内定をいただいた。その最終面接で思わず私は聞いてしまった。

「はい、こちらかの質問は以上になります。長い間ご苦労様でした。もうここからは面接とは関係ない事にするから中島さんの方から何か質問はありますか?」

この手の質問で、本当に面接とは関係ないと思ってしまうほど私はピュアじゃないけど、つい私は本音で聞いてしまった。

「あ、あの、なんで私がここまで進めたのでしょうか?」

「え?」

面接時に自分を下げるような事は言ってはいけない。こんなのはバイトの面接を受ける高校生でも知っている。それなのに私はついつい気が緩みそんな事を聞いてしまった。

「中島さん、あの時正直緊張しすぎてテンパってたでしょ?」

「は、はい」

「それで僕らの質問なんて耳に入ってなかったでしょ?」

「は、はい。その通りです」

「僕らもあの時点でもうダメかなって思ってたんだけど。でもあの後中島さんいきなり踊り出したでしょ?あの場のあの空気で、いきなり踊れるなんて並の心臓じゃないなって思ったんだよ。だって就職活動の面接でだよ?下手したら人生変わるかもっていう大切な場面で頭が真っ白になった状態で踊れるなんて並の人間じゃできないよ(笑)」

私は自分が今けなされているのか、褒められているのかわからなかった。

「アナウンサーっていう仕事はね、確かに視聴者の方達からしたら華やかな職業に見えるけど実際は過酷そのもの。朝の情報番組の担当になったら朝もとても早いし、ほんと過酷そのものなの。それに生放送なんて間違えたらそれこそ取り返しつかないしね。でも僕らはあの時の中島さんを見て、『あ、きっとこの子なら窮地に立たされてもなんとかしてくれそうだな』って思ったんだよ。だって面接中にいきなり踊り出す人なんて今までで初めての経験だもん(笑)だから君はここまで進んだ。こんな回答で大丈夫かな?」

「は、はい!ありがとうございます!ご期待に応えられるようにこれからも頑張ります!!」

まだ受かってもいないのに、あたかも合格した前提で受け答えする奴なんて初めてだ。私は今でもたまにアナウンス部の中田部長に面接の事でからかわれる。


なんで私があの時受かったんだろう?朝の情報番組を終えた由美はこの後一件取材をしてから帰宅というスケジュールになっている。取材先へタクシーで向かっている中、ぼんやり昨年の面接の事を思い出していた。

内定貰った時はあんなに喜んでいたのにな。間違いなく人生で最高の瞬間だったなぁ。これからの人生、絶対に不幸しか訪れないだろうなって思ってたけど。まさか、この仕事が嫌になるなんてな。

あの時の元気なんてすっかりなくなった由美はタクシーの中で疲れ切っていた。時間はまだ午後二時。今までは、朝の情報番組は大変だから慣れるまでは他の仕事を入れないようにと会社が配慮してくれていたが、そろそろ大丈夫だろう、という事で今日から週に一日別の仕事も入れてみて徐々に慣れようという試みがスタートした。初日の今日はこれからファッション誌のスタイリストさんの取材を行う。なんでもインスタのフォロワー数が十五万人というものすごい人気者(ちなみに私は九千人。新人でこれは結構すごいんですよ)。自分からしたらとんでもなく遠い世界にいるような人だけど、「山田花」という名前はどこか親近感がある。自分の似合う服とかも教えてもらおうかな、そんな事を考えていると気がついたら私は夢の中に落ちていた。


「まさーん。中島さーん!出版社、着きましたよ」

「え、は、はいー」

私はタクシーの運転手さんに起こされるとそのままの寝ぼけた状態で取材先の出版社へと入った。

「恐れ入りますが、本日のご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」

エントランスに入るなり、いきなりモデルさんのような受付の女性に不審者扱いされて少しムッとしたけど、そういえば中田部長に、入ったらまず名刺を二枚提出して、受付作業を済ませろと言われていた。

「私本日三時から、山田さんの取材をさせていただく中島と申します。よろしくお願い致します」

そう言って私は名刺を二枚提出する。

「中島様ですね。お待ちしておりました。こちらのエレベーターから十三階にお上がり下さい」

私が来る前から喉元に準備していたであろう言葉を受けて、私は十三階へと上がる。


「お忙しい中、お越しいただきありがとうございます」

「こちらこそお忙しい中、取材の時間を設けさせていただきありがとうございます」

社会人のビジネス挨拶というのにはいまだに慣れない自分がいる。自分に父親ぐらいの年齢の男性と挨拶を交わした後、会議室のような所へ案内された。

「初めまして。本日取材を担当させていただきます、中島と申します。本日は一日よろしくお願い致します」

「初めまして。弊社の雑誌スタイリストを担当しております。山田と申します」

目の前にいたのは先ほどの受付の女性よりもさらに綺麗な女性だった。スーツ姿がとても似合っていた。山田さんから受け取った名刺には、やっぱり親しみやすい名前が書かれていて、少しだけホッとする。眠たい気持ちを堪えながら、

「では、さっそく取材のほう、始めさせていただきます。山田さんがスタイリストを始めたきっかけは?」


取材は予定通り、順調にスムーズに進んでいった。

実はアナウンサーになって初めての取材だったけれど、私の中では十分合格と言えるんじゃないかという取材内容だったと思う。会社から用意された台本は予定通り終わったので、最後に少しアドリブを入れてみた。

「では、最後に、これは完全に私ごとになってしまうのですが、花子さんから私にコーディネートのアドバイスをいただきたいのですが(笑)」

「と、言いますと?」

「実は私、自分の私服があまり自信なくて。せっかくなので花子さんに私服のアドバイスをいただきたいのですが!笑」

「そんなの台本にありました?」

山田花子さんの一言で一気に現場が凍りつく。

「あの、勘違いしてほしくないんですけど、私は仕事だから人のスタイリングを決めているんです。今あなたは私にスタイリングを決めろとおっしゃいましたけど、その分ちゃんと代金はお支払いいただけるのですか?代金を支払う気もないのにそんな軽はずみな事を言われると我々の仕事の価値が下がってしまうんですが。それともあなたはプライベートな時間でも色んな方々に取材を行っているんですか?

「い、いや、それは・・・」

「それなら私も嫌ですよ。それに、それに私は山田花子ではありません。山田花です!人の名前も覚えられないなんて社会人として大丈夫ですか?」

そう言い残して、山田花さんは席を立った。


やってしまった。今の私にはもう踊れる元気は残っていなかった。なんであんな事言ってしまったんだろう。なんで名前を間違えてしまったんだろう。確かに社会人にもなって相手の名前を間違えるなんて、とんでもなく失礼な事だ。やってしまった。今日は金曜日。とりあえず今日はこのまま帰って、次に出社するのは月曜日だ。きっととんでもなく怒られるんだろうな。考えるだけでもう出社したくなくなる。言い訳して許される訳ではないけど、今日の私は完全に疲れていて、タクシーで眠ったのがいけなかった。そのまま寝ぼけた状態で取材に臨んでしまった。でももう、時間は戻ってこない。山田さんの言う通りだ。私はアナウンサーどころか、社会人としてもまだまだ未熟だ。

思わず泣きそうになってしまうけど、ここで泣いてしまったら後方から尾けている週刊誌の記者の思うツボだ。

「朝の顔、ナカユミ!『今日も元気に行ってらっしゃい!』裏では泣いていた!!」

こんな感じで書かれるのは悔しい。記者の思い通り、テレビとは別の顔があると知られるのも悔しい。だから私は必死に涙を堪える。

「あなたはプライベートな時間でも色んな方々に取材を行っているんですか?」

山田さんに今日言われた一言。いつも私を尾けまわす記者の人達をいつも軽蔑していた。人のプライバシーを侵害する仕事が楽しいのかと。でも今日私はその大っ嫌いな記者と同じような事をしてしまった。

「私、なんか社会人になってから性格悪くなったな・・・」

昔からお母さんに言われていた事がある。それは「絶対に人の悪口を言わない」という事。人の悪口を言うと口の形が悪くなるよって言われてた。それに人の悪口を言う時点で、相手の悪い所に目が向いている、だから相手の悪いところばかりに目を向けちゃダメって小さい時から教わった。それなのに、私はいま人の悪い所ばかりに目がいってる。

番組で取り上げる芸能ニュースも、○○が不倫だとか、浮気だとか、離婚だとか、失言だとか、人の事を下げる記事ばっかり。本当はそんな内容ばかり取り扱うのは嫌だ。いつも思う。周りがとやかく色々言って騒ぎ立てるのは余計なお世話だ。そうやって人の悪い所ばかりに目を向けちゃうのは良くない。不倫も、離婚も、失言も、そんなのは当事者達が決めればいいだけの事。そんなに人を責めて気持ちいいのか。・・・まぁ私が報道している内容でそのような世論を助長させているのは間違いない。

「お母さん、ごめんね」

朝の顔、ナカユミ。裏では泣いていた。


「ただいま」

家に帰ったけど、やっぱり陽介はいなかった。今はとにかく陽介に話を聞いて欲しかった。とにかく陽介の胸で泣かせて欲しかった。ただ、それだけでよかったのに。陽介が帰ってくるまで待ってようと思っていたけど、今日の私は少々疲れ過ぎていた。気がつくと私は寝てしまっていた。

次の日の土曜日、朝起きるといつも隣にいるはずの陽介の姿がなかった。「あれ?」と思い、一気に目が覚めた。テーブルの上には置き手紙が一通。

「ずいぶん疲れているようなので、この週末は友達の家で過ごします。由美は「いってらっしゃい」っていつも言っているけど、おれは一度も言われた事がありません。おれたち、少し距離が必要かな?笑」

なんでそうなるの・・・。

ずいぶん疲れているから陽介が必要なのに。なんでわかってもらえないの。それに最後の一文。語尾に「笑」がついているという事は陽介の本音だという証拠だ。そのやけに短い手紙に雫が一滴、また一滴と垂れていく。気がつくと手紙はぐちゃぐちゃに濡れていた。


「ゆう?どうしたの?こんな時間に電話なんて。珍しいねっか」

私は一人でいる事に耐えられず実家のお母さんに電話していた。お母さんの方言を聞くと心が落ち着くのだ。

「あ、お母さん?ごめんね、急に」

「朝ごはんも片付け終わったし、大丈夫らよー。どうしたの?」

「う、うん。いや。なんか私アナウンサーに向いてないかもって」

「え?急にまたどうしたの?嫌な事でもあった?」

「嫌な事というか、どんどん自分の事が嫌になっていってさ。ほら、お母さん小さい頃よく言ってたじゃない?『人の悪い所ばかりに目がいくような人になるな』って。なんか私アナウンサーになってから性格が悪くなった気がして」

「まぁ報道する内容は良い内容ばかりじゃないっけね。確かに嫌な事とかひどい事を言う機会も増えたかもしれないけど、でもあんたはそれ以上に毎日素敵な言葉を言っているからいいじゃない!」

「そんな素敵な言葉なんて私言ってるっけ?」

「あんた自覚持ってないのー?あんた毎日「いってらっしゃい」って言ってるじゃない!あんな素敵な言葉はないよー。お母さんもね、昔おばあちゃんによく言われたのよ『”いってらっしゃい”がこんなに気軽に言える世の中になって本当に良かった』って」

「それってどういう意味?」

「”いってらっしゃい”はね、”行って、無事に戻って来て下さい”っていう意味が込められてるんだってさ。逆に”いってきます”は、”行って、帰ってきます”っていう意味なの。でもおばあちゃんが戦時中の時は男の人達が戦場に行く時には、”いってらっしゃい”なんて言えなかったのよ。帰って来ることなんて願うなって」

毎日あんなに言っているセリフなのに、意味なんて考えた事なかった。

「だからお母さんもあんたを送り出す時は色んな思いを込めて送り出してたんだけどなー。『今日も一日頑張ってね』って思いながら『いってらっしゃい』って言ったり。とにかくまぁ一般人のお母さんにはあなたの辛さもわからないけど素敵な言葉を届ける仕事っていう事は間違い無いんだから頑張りなさいよ!あんな素敵な言葉を毎日視聴者の何百万人という人達に言える仕事なんてないよー。初心を思い出しなよ。胸が震えた、あの最高の瞬間をもう一度思い出して頑張んなよ」

『今日も元気に行ってらっしゃい!』確かに私は毎日このセリフをしゃべっている。でもそこに思いなんて乗せた事なかった。いつもは大嫌いな月曜日が少しだけ、ほんの少しだけ楽しみになった。


ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ

アラームの五回鳴った所でようやく目が覚める。「オ・コ・シ・テ・ネ」とお願いしたのは間違いなく私なのに、朝起きる瞬間アラームが憎くなるのは私だけではないはず。

「いつもは大嫌いな月曜日が少しだけ、ほんの少しだけ楽しみになった」

そう思っていたけど、いざ月曜日になるとやっぱり月曜日は憂鬱だ。

それに私の隣に今、陽介はいない。

「行ってきます」

願いを込めて「行ってきます」と一人で呟いた。


憂鬱な月曜日だけど、唯一楽しみな時間がある。それは番組終盤の「あなたのお目覚めソング」というコーナーだ。このコーナーは視聴者の方からリクエスト曲を募集して、番組内で紹介するというコーナー。普段自分が知らない曲を聴けるというのは良い気分転換になる。たまにダウンロードした曲の中から再生回数の少ない曲を聴くというのも良い気分転換になる。

「では、本日の『あなたのお目覚めソング』コーナーです」

「先週はあいみょんさんの『ハルノヒ』でしたね。中島さんもこの曲は好きみたいですね」

「曲なのに、小説みたいに物語になってる所がとっても好きです。では、さっそく今週の『あなたのお目覚めソング』です。東京都、瞳さんからのリクエストソングです。『同じ名前という事で仲良くなった高校の同級生に教わった歌手です。何気なく使ってしまう、いってらっしゃい、おかえりなさいの重みを再認識できる曲です』・・・。」

思わず言葉に詰まってしまう。先日お母さんに言われた言葉を思い出す。

「中島さん?」

「すいません!それでは聴いてください。Ms.OOJAさんで『愛しい人よ』」


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私の髪に触れる

優しいその手が好き

景色が輝いて見える

あの日も今も変わらず


トンネルの中 たった一人で

走り続けたその先に

こんな奇跡があるのならば

何も間違いじゃなかった


今日も願いを込めて 「いってらっしゃい」って

あなたが笑顔でいられますように

温かな声 溢れる場所へ 導いてくれたから

こんなにも 今幸せよ


2人の間 眠る

小さなその手が好き

触れると握り返して

寝息さえ全部 愛しい


疲れ果てたら 抱きしめたいの

そのぬくもりはいつだって

私の体 心までも

包んで癒してくれる


今日も感謝を込めて 「おかえりなさい」

あなたの笑顔が 私のちからよ

明るい光 照らし続ける どんなことがあっても

こんなにも 大切な人


想像もつかないような 未来がどこかで待ってるんだね

愛することで愛されてたと やっと気付いたの


今日も願いを込めて 「いってらっしゃい」って

あなたが笑顔でいられますように

温かな声 溢れる場所へ 導いてくれたから

こんなにも 今幸せよ 愛しい人よ

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目に涙が溜まっていくのがわかる。あとほんの少しで溢れてしまいそうになるのを必死にこらえながら進行を続ける。

「『中島さんがいつも笑顔いっぱいで言ってくれる、今日も元気にいってらっしゃいが大好きです。みんなが大好きな中島さんがいつまでも笑顔でいられますように』」

必死にせき止めていた涙が一気に溢れ出してきた。なんで不安やひどい緊張状態で、優しい言葉をかけられると人はこんなにも簡単に泣いてしまうのだろう。私はやっぱりアナウンサー失格だ。私は生放送で大号泣してしまった。

「な、中島さん?大丈夫ですか?笑」

「まぁ、僕らも視聴者の皆さんも中島さんの笑顔が大好きですからね」

「は、はい。・・・すいません」

あなたのお目覚めソングのコーナーの後は本来メインMCが占いを読むのだが、今日の私はそんな余裕はなく、先輩アナウンサーが代役を引き受けてくれた。その占いコーナーも無事に終了した後、

「はい、というわけで中島さんもう大丈夫ですか?最後はしっかりお願いしますよ」

「は、はい」


願いを込めて、

すべての愛しい人へ。

「今日も元気にいってらっしゃい!」