Be myself

「えー、ご飯連れて行ってくれるんですかー!嬉しいですー」

「好きな食べ物ですかー。たくさんあるんですけど、ウニが一番好きですー」

「え!本当ですか?嬉しいですー!来週の金曜日楽しみにしてますねー!」

森実悠はそんなに好きでもないウニを、そんなに好きでもない男と食べに行く約束をした。


森実悠が勤めているのは都内にある玩具メーカー

今日も五分おきに起こしに来るアラームの五回目でようやく眠たいまぶたを開ける事に成功した。さて、駅まではダッシュ確定だ、そう思いながらいつものようにテレビをつける。テレビには私よりも数時間も早く起きて、数時間も早く出社しているだろうに眠たい様子なんて微塵も見せずにキラキラな笑顔で朝から重ためのコンビニスイーツをほおばる、華やかに着飾った女性アナウンサー達がいた。

「もしかしたら私もここにいたのかなぁ」

女子アナ志望だった私が大手でもないちっぽけな玩具メーカーに勤める事になるなんて思ってもなかった。民放キー局のアナウンサー試験はいい所までは行ったのに最終的には全敗した。やっぱり見た目が重要なのかな。私だってそんなに悪い外見ではないはずだ。でもいざテレビに映っている彼女達を観るとやっぱり素材が違うというか、華が違うというか、そこは認めざるを得ない。

「今日も元気にいってらっしゃい!」

いつもと同じようにテレビの向こう側の中島アナウンサーがこれから憂鬱な仕事に向かう人達へ朝の情報番組ではお決まりのセリフを笑顔いっぱいに言うと、すぐに番組は次の情報番組へと変わった。彼女のこのセリフに元気付けられている人達はきっとたくさんいるんだろう。私にそんな能力があるとは思えないから、やっぱりテレビ局の人事部の目は確かだ。

このテレビ局のアナウンサー試験の書類を通過して、自信満々に二次の集団面接に向かった私だけど、その自信をものの見事に打ち砕かれた事を覚えている。五人一組で行った集団面接で、正直そのうちの三人よりは自分が勝っていると思った。容姿・出身校・話し方など全てにおいて私が勝っていた。ただ、ただ一人、その五人のうちのただ一人には全てにおいて負けていた。それが中島アナウンサーだった。いや、正直本当に彼女だったのかは自信ない。でもテレビの向こう側の彼女と、面接時の彼女の性格はあまりに酷似している。テレビの向こう側の中島アナウンサーは美しい容姿なのに、平気で変顔をしたり、体を張ったり、決して気取った態度を見せない所に彼女の性格の良さが滲み出ているし、たまにドジをする。そんなの人気が出るに決まってる。外見も良くて、性格も良くてたまにドジをする素朴さも兼ね揃えている。勝てるわけ無い。面接の時の彼女もそうだった。彼女以外の私を含めた四人はガチガチに固めてきたフレーズを面接時に披露していた。それはもうガチガチな定型文だった。例えば最初の自己PRなんて誰か間違えて自分の名前を面接明子と言っちゃうんじゃないかと思うぐらい、みんなが面接対策の例文をそのまま言っていた。とにかくみんな同じような事を言っていて、自分でもハッキリとつまらないと思っていた。でもそんな空気の中で、彼女はいきなり踊り出した。私達四人は「え!?」って感じでキョトンとしていた。そんなのはお構いなしに彼女は踊っていた。しかもめちゃ上手い。きっとこういう人の事をスターと呼ぶんだろう。きっとこういう人がアナウンサーになるんだろうな。私はこの時点で確信していた、私は彼女に負けた。

そもそも私がアナウンサーを目指す理由はただ一つ。「人に勇気や感動を与えたい」とか、「正しい情報を人々に伝えたい」とかそんな理由ではない。ただ、「玉の輿に乗りたい」からだ。


私の家はお世辞にも裕福とは言えない家庭だった。いや幼い頃は裕福だったと思う。父親は会社を経営していたし、お寿司も回らないのが当たり前だと思っていた。でも私が中学生の時に両親は離婚した。理由は父の多額の借金。ギャンブルや女に貢いだとかそんな理由だったら、父を嫌いになればいいだけだから良かった。けれど、父親は夢を追った。夢を追ってしまった。さらなる事業拡大を目指して借金をして、そのまま倒産した。それから毎晩借金取りが押し掛けてきて、家族三人の精神状態はかなりギリギリだった。それからしばらくして父と母は離婚した。母も私も父と暮らしたかったけど、父からするとこれ以上家族を苦しませたくなかったらしい。だから私達は何も言えず、そのまま別れた。

私は母に引き取られ、二人暮らしが始まった。私の意思に関係なく、親権が母親に移った。それから私はなんとなく自分が母の所有物みたいな感覚になった。私の意思は関係ない。私はそこらへんの物と同じように誰かの手に渡るだけ。そんな感覚がした。

二人暮らしが始まって、私は勉強に明け暮れた。部活をするような経済的余裕は無かったし、家には中学生の多感な好奇心をくすぐるようなモノは一つもなくて、私は家にいても勉強しかする事がなかったから。それに、

「あら、実悠この前のテスト100点だったの?良い子ね」

勉強さえすれば母は私を褒めてくれる。

「おたくの実悠ちゃんは頭が良くて羨ましいわー」

友達のお母さんが私を褒めるたびに母はすごく嬉しそうな顔をするから、だから私はとにかく一生懸命勉強した。

それは決して私の為じゃない。母の為。母の喜ぶ顔が見たいから。母に良い子だと言ってもらう為。

でもいつからか、「私は誰の為に生きてるんだろ」そんな風に思い始めてた。母を喜ばせる為に勉強を頑張り、母を困らせない為に良い子を演じていた。私の人生の主語はいつだって、母だった。

母を喜ばせる為に勉強を頑張ってきた私、学校の成績も右肩で上がり、テストのたびに学年順位は上がり続けた。テストの成績が学年一位になったあたりから周りの反応は変わってきた。

「あいつの家は貧乏。貧乏だから勉強しかやる事がない」

「あの筆箱、ダサいよね。貧乏くさいし(笑)」

女というのは、不思議な生き物だ。問題にもしない女に対してはとことん優しくなれるのに、自分よりも上の存在だと認めた途端に、嫉妬を始める。私は正直自分の顔に自信はある。中学生になってから、先輩・同級生・後輩含め六人から告白をされているし、校内ですれ違う男子がちらりと私に視線を向けている事にも気づいている。

自分は普通の女よりも可愛いんだ。

それを自覚するようになってから、その期待を裏切らないように髪型・服装・仕草など、自分の努力でなんとかなる事に関しては努力を怠らなかった。それは一つの責任だ。美しい者はいつだってプレッシャーを背負わなければいけない。

だから私は周りの女からの嫉妬から来る悪口、嫌がらせは全然気にならなかった。

繰り返し言うけど、女は問題にもしない女に対してはとことん優しくなれるから。

絶対に良い大学に行って、良い会社に入って、玉の輿に乗るんだ。良い男性を捕まえる為には自分が上流に行く必要がある。上から流れてくるおこぼれを待つなんて絶対に嫌だ。上流で他の女の目に止まる前に私が絶対に良い男を捕まえる。その為なら、周りの女達に何を言われようとも、私には関係ない。所詮周りにいる女達は平均値の中でしか生きられない退屈な女達だ。私は努力して絶対に上流に行くんだ。そう決めていた。

 

私は基本的に男性を試す時は、「ウニが食べたい」とお願いする。別に特別ウニが好きな訳ではないけれど、どのレベルのお店に連れて行ってくれるかでその男性の経済レベルが測れる。もちろんそのウニのレベル次第で次回に繋がるかどうかが決まる。自分でも腹黒いなとは思う。でも仕方ない。私にはそうやってちょっとぐらい姑息な手を使わないと、玉の輿には乗れないんだから。アナウンサーになれていたら、プロ野球選手や実業家とかと合コンをしたりして、簡単に正統派のやり方で玉の輿に乗れたんだろうけど、私は小さな玩具メーカーに勤める一般人だ。

会社の同期の池谷香澄のように冴えない会社の先輩と社内結婚なんて絶対に私はしない。しかもその先輩は後輩にどんどん出世を追い抜かれているような人だ。そんな人と結婚して幸せになんてなれるわけがないのに。私の方が絶対に幸せになれる、競っても勝ち負けが永遠につくことがないような勝負で森実悠は人と競っていた。


「この前の投稿は”いいね”が四十三個かぁ」

「なに見てるの?あ、ディズニーランド行ったの?いいなー!しばらく行ってないなー。今度涼に連れて行ってもらおうっと」

会社勤めだと唯一の楽しみなんてお昼休憩ぐらいだ。私はその貴重な時間を同期の池谷香澄と過ごしている。

この時森実悠は先週大学の友人達とディズニーランドに行った時の写真を見返していた。この時は久々に会った友人達と当時の思い出話に浸ってたくさん笑った事を思い出している。訳ではなく、その下に表示されている”いいね”を見返している。

「ちょっと、社内でノロケるのやめてよねー」

「そんなんじゃないってば」

頬を紅くしている同期を見ていて思う。もし同じようなセリフを中島アナウンサーに言われたら私は同じようなセリフを中島アナウンサーにも言えるんだろうか。きっと嫉妬の念で同じようなセリフは言えないと思う。女ってどうしてこうも自分よりも下だと思っている女に対してだと優しくなれるのだろう。

「実悠は誰かいい人いないの?」

「んー、今は特にこれって人はいないかなー」

「そうなんだ、実悠っていつも誰かに恋してるイメージだった」

「別にそんな事ないよー。金曜日に食事に行く予定はあるんだけどねー」

「え?そうなの!?上手くいくといいね!応援してる!」

随分見下されている。上手くいくといいね、じゃないよ。私はあなたみたいに冴えない旦那を捕まえるつもりはない。私は絶対玉の輿に乗るんだ。


約束の金曜日。八個上で、上場企業の商社に勤める村上と恵比寿ガーデンプレイスで約束の七時からあえて十分遅れて合流した。

「すいませーん。ちょっと仕事が終わらなくてー」

ついさっきまでいたスタバで予習していたセリフをスラスラ言う。最初のデートではまず遅刻するのは鉄則だ。そこでの態度で、ある程度相手の器の大きさが測る事が私の中での目的だ。

「お疲れ様。全然構わないよ。大丈夫?疲れてない?」

ほぉ。この場面でいきなり相手を労えるのか。この男はなかなか上玉かもしれない。すでに心の中でそんな風な採点が始まっていた。

「予約していたお店、ここなんだ。最近オープンしたばかりなんだけど、なかなか予約取れなくてね。今日はたまたま予約取れて運が良かったよ」

「すごいお洒落ー!こんな所でご飯なんて食べた事ないですよー」

ついこの前も同じようなセリフを喋っていたけど、毎度同じテンションで言える自分がたまに怖くなる時がある(笑)

「なんか実悠ちゃん、仕事終わりだと雰囲気がガラッと変わるんだね。すごい大人っぽい」

村上とは先月、日本酒の会で知り合った。日本酒の会とは日本酒が好きな人達が各々好きな日本酒やおつまみを持ち寄り、十人程の規模でマンションの一室で親睦を深めるという会だ。正直とてつもなく怪しいとは思う。でも参加者はなかなか経済力の高い人達ばかり。会社を経営している人もいれば、外資の証券会社で日々億単位のお金を動かしている人もいる。私は大学時代に銀座のクラブでアルバイトをしていた。その時のツテで今でもこのような上流の集まりに呼んでもらえる。ただの小さな玩具メーカーに勤めているだけでは絶対に縁のない場所だ。村上はこの日本酒の会の中で一番若く、センスが良いように感じた。

「実悠ちゃん、この前会った時は大学卒業したてって感じだったのにね(笑)」

「それって褒めてますー?笑」

「褒めてる!褒めてる!」

この男もちょろいもんだ。初対面では雑誌sweetに載っていた、可愛らしいモテコーデを上下一式揃えて挑み、今日の服装は雑誌oggiに載っていた、仕事後の大人のモテデートコーデを上下一式揃えて挑んでいる。完璧だ。私の個性こそないものの、雑誌のスタイリストに任せたコーデで外した事はない。服を買う時に試着した事なんてほとんどない。本当の私はシンプルな服装が好きだから、上は白い無地Tシャツに下はデニムっていうコーデが好きだけど、そんな服装は間違いなくモテない。だから雑誌のマストバイとか、鉄板とか、インスタでの人の評価を見て服を買っている。自分が似合っているのかはわからないけど、周りの人達はよく私の服装を褒めてくれる。でもそれが私に対してなのか、服に対してなのかはわからなかった。

今回の村上はかなりの上玉だった。お店のセンスもいいし、何より素敵な人だった。私や店員さん、誰に対しても対等に気さくに話し、年齢や人生経験の差を感じさせなかった。礼儀正しく、会話を楽しむ事を知っていた。人を笑わせる事を心得ているばかりでなく、人の話に笑いで応えるという礼儀もわきまえていた。それにオーラというか色気があった。おそらくこれまでにたくさんの苦難を経験して、そしてそれらを乗り越えてきたんだろう。その自信と余裕からくる色気を纏っていた。

「で、この後どうする?雰囲気の良いバーがこの近くにあるんだけど、行かない?もちろん実悠ちゃんの時間があればの話なんだけどさ」

「もちろん、行きます!」


私は正直この時点でかなり村上に惚れていた。最初は確かに経済レベルで判断していたけれど、彼は中身も魅力的だった。お金持ちの人ほど中身が残念だったりするから正直この男を逃すのはかなり惜しい。このレベルに出会えるチャンスはなかなかない。なんなら今夜勝負を決めても良いかもしれない。そんな事を考えながら、村上の後ろをついていく。

村上が紹介してくれたバーは地下にあった。その階段を降りながら、この短い距離を歩きながら私は変わる。表向きの顔から私的な顔へ。OLから女へ。

「飲み物はどうする?」

「村上さんにお任せしますよー」

「了解。そしたらマティーニでいっか」

「はい、よろしくお願いします。ちょっと私お手洗い行ってきますね」

トイレに入るなり、鏡で顔を確認する。

「うん、問題ない。今日も綺麗だ」

鏡に映る自分が日常の顔ではないという事ぐらいわかっている。でもそれは女なら全員一緒だ。隣で同じように入念に化粧を直している女もきっと今夜勝負をかけようとしているんだろう。でもきっと私の獲物の方が上玉だ。


化粧を直した後、ただ普通に席に戻ったんでは意味がない。ここは二十三歳、若さという武器を使おう。後ろからいきなり声をかけて驚かせよう。大人っぽいお店で、あえて子供っぽい事をしてみる。案外このギャップで男はやられるものだ。どうやら彼は今スマホをいじっているようだ。実悠は息を殺しながら、村上に近く。声をかける寸前で、薄暗い店内で、彼のスマホの画面がハッキリと光っていた。

「今一緒に飲んでる女、超ちょろいわ!若いから余裕で引っ掛けられそう(笑)」

私は席に戻ると、何も言わずに村上を後ろに置いていく。


外に出ると一気に虚しくなってきた。本当の自分には似つかわしくない大げさなネオンが明るく照らす通り。

「私は一体何がしたいんだろう」

「私は何がしたくて生きてるんだろう」

わざとらしく明るく照らす明かりを避けるようにして、実悠は薄暗い路地で一人涙を堪えていた。カバンの中ではさっきからスマホが震えている。相手は誰だかわかっている。震えが終わった事を確認すると、スマホには一件のメッセージが入っていた。送り主は同期の香澄からだった。

「今日の食事どうだった?上手くいってますように」

同期からはそんな無邪気なメッセージが届いていた。そのメッセージを読んだ途端、溢れるように涙がこみ上げてきた。人は張りつめている時に優しくされると、人は糸が切れたような気分になってしまう。

泣いている事がバレたくなかったから、軽くメッセージを送る。

「ダメだった。急に何の為に生きているかわからなくなってきた。あ、もちろん自殺なんてしないよ(笑)」

重くなりそうだったから慌てて、笑いに変えてみる。

すぐに香澄からメッセージが届いた。この薄暗い路地に逃げ込んだ私を照らしてくれる唯一の光は香澄からのメッセージだけだった。

「そっか。Ms.OOJAっていう歌手知ってる?Be myseifって曲聞いてみて!!元気出して、あの最強の笑顔をまた来週も見せてね!お疲れさま!」

Ms.OOJA?誰だろう。わからないや。とりあえず何かにすがりたくて、私はYouTubeで検索するけれど、それらしき曲は見つからない。それでもどうしてもMs.OOJAのBe myselfが気になってしまった私はiTunesでダウンロードしてみた。

 

----------------------------------------------------

なぜ生きてる?ってもしも聞かれたら

私はなんて答えられるかな

沈みゆく夕陽に問いかけてみても

答えは夜に紛れてくの


幸せを求め 幸せを競って 誰かの“いいね”待って

だけど虚しくて

綺麗じゃなくても ちゃんと見ていたいの

フィルター無しの空の色


生きることに意味なんてなくてもいいの

追いかける夢なんてなくてもいいの

今日という日を過ごした私は

また明日を生きてくの


Be myself…

Be yourself…


なぜ独りなの? って簡単に言うよね

数え切れぬほど選んできたこと

どんな決断も 絶対なんてないけど

今日も私は笑えてるよ


切りたての髪を 鏡に映して

自分でイイネって 思えることがいいよね


歌うことに意味なんてなくてもいいの

清く正しくなんてなくてもいいの

今日という日を過ごした私は

また明日を生きてくの


好きな人と会って 美味しいものを食べて

特別な日があるのは

何でもない日に 生まれるドラマを

乗り越えてきたから


生きることに意味なんてなくてもいいの

追いかける夢なんてなくてもいいの

今日という日を過ごした私は

また明日を生きてくの


それでも私は歌い続けるだろう

それでも清く正しくありたいだろう

私だけの今日が始まる頃

誇らしくいられるように

---------------------------------


「おはよう!この前のデートは残念だったね。あれ?実悠なんか服装だいぶ変わったね」

上がただの白い無地Tで、下はただのデニムという今まで人前でした事がないようなシンプルコーデの私を見て、香澄が驚く。

「うん。ちょっと心機一転ね」

「そっか。でも今の実悠のコーデ、すっごい似合ってるよ!いいね!」

「ありがと!てか香澄が教えてくれたMs.OOJA、すっごくいいね!」


”いいね”なんてそんなたくさんはいらないのかもしれない。

たった一人の”いいね”があれば、本当はいいのかもしれない。