NEW DAY

「なんか仁美雰囲気変わった?」

「え!まさか彼氏!?」

瞳の急な質問に思わず言葉が詰まる。

「もしかしてこの前言ってた年下くん?」

新発田くんの事を思い出すと、ついニヤけてしまう。

「え、うっそ!付き合ったの!?すごいじゃん!おめでとう!!」

私は一言も喋ってないのに、瞳は一人で会話を進めている。

新発田くんには綺麗に振られたよ」

「え!?振られたの!?てか、仁美が告白したの?」

「う、うん」

「えーすごいじゃーん!あの仁美が、告白できるようになるなんて」

振られたのに、人に喜んでもらえるなんて経験そうそうできないだろう。でもたしかに昔の私からしたら、自分から告白出来るようになるなんて思いもしなかっただろうな。だって今の自分だって信じる事ができない。

新発田くんと初めて二人で飲みに行った夜、やっぱり新発田くんからはお別れを告げられた。

「今までお世話になりました。稲中さんには本当にお世話になったのでちゃんと言わなくちゃって思って」

そういうところ。あなたのそういう律儀な所が大好きなんだよ。そうは言えなかったけど、私なりに気持ちは伝えられた。上手く伝わったかはわからない。それでも新発田くんはただ「ありがとうございます」と、無邪気な笑顔でそう答えてくれた。そして旅立った。

「えー、なにそれ。それって本当に振られたの?」

「わかんない。わかんないけど、もういいの。この恋はおしまい!早くこの恋は忘れるの!頑張って忘れて…」

「忘れなくていいよ!」

瞳からそんな大きな声が出るとは思ってなくて、私は一瞬なにが起こったのかわからなかった。

「忘れなくていいよ!好きなんでしょ?まだ好きなんでしょ?それなら仕方ないじゃん!付き合うだけが全てじゃないよ。その人の事こんなに好きになれたんだって誇りに思いなよ。そんなに好きだって思える人がいるって当たり前じゃないし、素敵な事だよ。大丈夫。忘れられる時がきたらポッと忘れるよ。何が原因とかじゃなくて、自然にポッと。忘れる時がきたぞ〜って」

「…そっか。ありがとね」

「ここにいるよ」

「え?」

「それに、私はいつでもここにいるよ。どこへも行かず、ここにいるよ。仁美の味方はいつだってここにいるんだからね!」

二人の間をしんみりとした空気が流れる。

「やだー!こんな空気になるなんて思わなかったー。で、なんでさっき仁美は嬉しそうな顔してたの?」

「実は私の好きな歌手のライブチケットが当たってさ!」

「え、それってMs.OOJA?仁美の影響を受けて私もすっかりハマっちゃったんだよー。いいなー、羨ましい」

「ほんと!?実はペアチケットだから一緒に行く人探してたんだ!」

「まじ!?行く行くー!!」

今も変わらず 一緒にいる

今も変わらず 笑い合う

こんな当たり前の事が本当の奇跡でしょう


半乾きの洗濯物を仕方なく家の中に取り込んでいると、台所のほうから香澄がいつもより高めの声で自分の名前を呼ぶ。しまった、あのトーンで呼ぶ時はおれが何かミスをした時だ。

「おーい!まさかもう洗濯物取り込んでないよねー?今日の天気予報ちゃんと見たー?」

天気予報なんて見なくたって、外はすっかり灰色に染まっている。どう考えてもこれ以上外に出し続けても洗濯物に乾く見込みはない。あれからおれは香澄と結婚した。香澄はこんなおれのプロポーズを受けるととびっきりの笑顔で受けてくれた。そしてそれからおれは仕事も順調で無事に出世して子供にも恵まれ・・・、とまぁ普通小説なら主人公はこんな感じで一気に輝かしい生活を送り始めるんだろうけど、残念ながらこれは小説ではなく、ただのおれの人生。そんな上手くはいかない。香澄と結婚してからもおれはさえないサラリーマンのまま。

ただ、おれはようやく自分の人生を歩き始めたと思う。”ただのおれの人生”を。

やっぱり出世にはほど遠かったし、香澄達の下の代の子達が入社してきてもおれはやっぱり教育担当のままだった。でも最近気づいたことがある。それは、おれはおれという事。

どんなにないものねだりしても、無い物は無いし、どんなに願ってもおれはおれにしかなれない。

ずっとおれは親のせいとか、人のせいとか、周りの環境のせいにして生きてきたけど、結局目の前にある現実って、全部過去の自分が選択してきた結果なんだって気づいた。

今までおれにたくさんの悲しい出来事が起こってきた。結婚間近だった仁美から、親を理由に別れを告げられた。あの時おれは親のせいにしておれの前から出ていく仁美を追いかける事はしなかった。でも本当に仁美の事を思っているならそんな事関係なく、なりふり構わず追いかけることだってできたはずだ。親のことなんて気にしないで、そんな事よりもおれは仁美が好きだ、だから一緒にいてほしいって言えなかった。というよりおれがそうしなかった。あれは他の誰のせいでもない。紛れもなく、おれのせいだ。

だからもう同じような後悔は絶対にしないと決めた。


きっとおれの人生に綺麗な虹はかからないかもしれない。

「今日は良い天気だよ!くもりときどき晴れだってさ!」

「それって良い天気なのか?最初っから晴れてたほうがいいだろ」

「最初のくもりを知ってるからこそ、後の晴れのありがたみを感じられるじゃん。いきなり完璧に晴れてるんじゃありがたみないもん。天気でもなんでも足りないくらいがちょうどいいんだよ」

くもりときどき晴れか。意外とそんなに悪くないかも。

「あ、そういえばこの間応募したMs.OOJAのライブチケットあったじゃん?」

「うん!え!どうだった?当たった!?」

「いや、外れたよ。でも足りないくらいがちょうどいいよな」

「…。それとこれとは話がべつー!」

足りないくらいがちょうどいい。


「おもちゃにもきっと感情ってあると思うんです。だからおもちゃの感情を可視化する事が新しい教育にもつながると思います!」

月に一度の会社の会議で入社二年目の女がいきなり突拍子もない事を言い出した、ディズニー映画の見過ぎだろ。

そんな空気が会議室全体に立ち込めていた。

「あー、たしかにそれは良いかもしれませんね!おもちゃに愛着を持てば粗末に扱う事もなくなるし、なにより新鮮です」

長岡さんだ。私が入社したばかりの頃に教育担当をしてくれていた長岡さんはわかりやすく頼りない人だった。後輩にも出世を越されていて、覇気の感じられない先輩だった。そんな先輩が同期の香澄と結婚すると聞いた時は驚いたけど、それ以上にそれからの長岡さんの変わりようにも驚いた。周りの評価はまだイマイチだけど、私の中ではかなり信頼している。

「たしか海外の会社にモノのエネルギーを可視化する機械を作った会社があったはずだから、その機械がうちのおもちゃにも反応するか試してみませんか?」

長岡さんがそう言うと、全体の雰囲気がなんとなく賛成の空気へと変わった。

「長岡さん、フォローありがとうございます!」

「そんなフォローなんて。ただ森さんの意見が良いと思った、それだけだよ」

白シャツに、デニムという男ウケのしなそうな服装が私のユニホームのようになってから、

変わったのは服装だけじゃなかった。私はもともとアナウンサー志望だったけど、その夢が絶たれた後になぜおもちゃメーカーに入社したのか、私なりに考えた。

私はもともとおもちゃが大好きな子供だった。

子供はもちろんおもちゃが好きなんだけど、それ以上に好きな自信がある。

「なんでこんなにおもしろいんだろ?」

子供ながらにすごく不思議だった。お母さんに理由を聞いても、

「遊んでる暇があるなら勉強しなさい」

ただそう言われるだけ。だから私はいつからかおもちゃへの好奇心を捨てて、気がついたらお母さんが喜ぶようにおもちゃを手離し、勉強に打ち込むようになった。

それでも一つの失恋をきっかけに、周りからの視線を気にするのをやめてみた。自分が「いいね」と、そう思えればいいと思った。世の中思い通りに行かない日も、人とぶつかる時も数えきれないほどあるけど、それでもその度に何度でも乗り越えてこられたのは幼い頃に描いた夢があったからだと気づいた。

「私はおもちゃが大好き」

これが私らしさなんだって気づけた。

たしかにアナウンサーになる事が私の理想ではあったんだけど、

遠く見える理想よりも 大事なものがそばにあること

どうして人は いつだって 忘れてしまうのかな。

あれから私は彼氏も出来た。年収はそんなに高くないし、顔もそこまでカッコよくはない。理想とはかけ離れているけど、私の事を褒めてくれる。

え、そんな理由?

って思うかもしれないけど、私は今まで男性に褒められるって経験があまりなかった。初めて今の彼に褒められた時、とっても嬉しかった。

だって、たった一人の”いいね”があれば、いいんだもん。

「私好きな歌手がいるんだ!友達に教えてもらったんだけどMs.OOJAって言うんだけどね、すっごい心に染みる歌を歌うの!でね!なんと、その人のライブチケットが当たったの!すごくない!?今度一緒に行かない?」

Ms.OOJA?ごめん、わからないな。実悠が好きっていうんだからおれもライブに行ってみたいけど、せっかくならそのお友達と行ってきた方が二人とも楽しめるんじゃないか?おれが行くのはなんか申し訳ないよ」

こういう相手を思いやってくれる所も好きだ。

「わかった、そうするね!」

このチケットは香澄と長岡さんにあげるか。

これは私から二人へのご祝儀だ。


「今日も元気にお過ごし下さい」

由美はいつからか当たり前のようになってしまったコメントで番組を締めると、番組はすぐに次の番組へと変わった。

この日の由美にいつもの笑顔はなかった。

「今日も元気にいってらっしゃい!」

ステイホームという言葉が、国民の合言葉になり始めると、「いってらっしゃい」という言葉は不謹慎だ、というクレームが来てからお決まりのセリフは自粛となった。だからか、私は最近落ち込みやすくなった気がする。

由美はいつからか自分のお決まりのセリフに元気をもらうようになっていた。いつも自分の周りの大切な人や、視聴者の方々を想いながらこのセリフを言うと、不思議と自分も元気が出てきた。応援って気づいたら、応援してる側も応援されてる気分になるから不思議だ。

テレビ業界も自粛ムードが広がり、新しいロケ撮影は行えず、今までの放送の総集編を流したりする事でなんとかその場をしのいでいるような状況が続いていた。

そして今日の放送では「ナカユミ迷言集」という総集編が放送された。自分で言うのもなんだけど、私はよくコメントを噛むし、言い間違える。

「頑張っていきましょう!」を「頑張っていきまっしょい!」と言い間違えた事、

「今日も元気にいってらっしゃい!」を「今日も元気にいってきます!」と言い間違えた事など、他にも様々な私の言い間違いが紹介された。

そういう間違いの後は上司に怒られるし、少なからず視聴者の方からお叱りの意見も届く。

当たり前だけど、怒られたらへこむし、落ち込む。

「アナウンサーなのに言い間違え多すぎ」

「アナウンサーなのに噛みすぎ」

「アナウンサーなのに少し声が低い」

自分に甘えるわけじゃないけど、世の中のイメージ的に「アナウンサー=完璧」という風に映ってるらしく、一切のミスが許されない。

まぁそれはしょうがないにしても、「声が低い」に関してはなかなかへこむ。

だって変えようがないし、それは私のコンプレックスでもある。あんまり人に言ってほしくない所だけに落ち込んでしまう。

番組の感想というのは番組直後に殺到する。メールだったり、Twitter、インスタ、様々な媒体で寄せられる。私はそれがありがたいと思う反面、少し怖いと思う時もある。

「今日は何も言われないかな」

そんな恐怖を抱えながら、私は番組終了後、一時間ほど仮眠をとる。


仮眠を終えると、やはりたくさんのコメントが届いていた。はっきり言って今日は私の今までのミスの特集だ。正直どんなコメントが届いているかは大体予想がつく。

「アナウンサーなのにあんな間違えて恥ずかしくないですか?」

「なんでアナウンス力不足なのに堂々とテレビに出られるんですか?」

はぁ、落ち込む。へこむ。

「ミスしても可愛い!元気が出ます」

「いつも明るく中島さん、ミスもおもしろいから好きです」

あれ?

「いつも天真爛漫なナカユミ!今日も笑顔をありがとう」

「自身も自粛疲れがあるはずなのに、疲れた顔を一切見せないところ尊敬します」

「いつも一生懸命なところ大好き!」

「コロナの影響でみんなの気持ちが沈みがちだけど、朝からナカユミ観ると元気が出ます!」

いつもネガティブなコメントしか目に入ってなかった。でもそれ以上にポジティブなコメントが、溢れていた。

過ちを嘆いてばかりいる私を、いつもみんなが温かく見守ってくれてるんだ。そう気がついた。


街を染める夕暮れをずっと、足を止めてぼんやり見つめてた。

この声で届けよう、がむしゃらなままでいいんだ。不器用なままでいいんだ。

それがみんなの悲しみをさらってくれるなら。

下手だっていいんだ、この声の限り。

私だっていつもMs.OOJAさんの歌に元気をもらってる。来月のライブを楽しみにまた頑張ろうっと!


今日もまた一日が始まる。辛い日になるだろうな。なんとなく想像がつく。新型コロナウイルスが感染拡大してから想定外のハプニングがあまりにも続いた。

私は今のスタイリストという地位を捨てて、自らのブランドを立ち上げる事にした。ブランド名は「fleur」、フランス語で「花」という意味。中島アナウンサーから教わった歌を聴いてから私は自分の名前が好きになった。もちろん不安もあるし、怖さもある。

なんで人って、新しい事を始めようとする時って必ず怖くなるんだろう。

でも今だけは信じてみようと思う。あの日心でふと生まれた「自分のブランド」を立ち上げたいと思った、その想いを。

花のように、

咲き誇るように。

山田花はMs.OOJAの歌の言葉たちを思い出している。


ブランドを立ち上げるという話になった時、最初こそ苦戦したもののしばらく経つと予想以上のスポンサーが集まってくれた。それぐらい今や「山田花」という存在は大きなブランド力を持っていた。スポンサーも多く集まり、かなり順調な滑り出しだった。


しかし想定外のハプニングが起こった。新型コロナウイルスの感染拡大が始まったのだ。それまでは順調に進んでいた商談も一斉に話がストップし、スポンサーを降りたいという企業も後を絶たなかった。

「日頃の行いが悪いからだ」

「急に天狗になって調子に乗るからだ」

「自分のブランドを立ち上げるなんて、そんな無謀な事するからだ」

ひどい事を言われて、私の気持ちは折れかけていた。下を向いている私に一人の女性が声をかけてくれた。

「花さん!大丈夫ですって!まだいけますって!笑われたっていいじゃないですか。この局面を踏ん張って、ちゃんとブランド立ち上げて、これだけ出来るって事を見せてやればいいじゃないですか!」

加藤さんだ。そう、彼女だけが唯一私に付いてきてくれた。正直前のスタイリスト時代にアシスタントとして支えてくれてた彼女が私に付いてきてくれるなんて思ってもみなかった。トイレで私の悪口や愚痴を話しているのを聞いたこともあった。だから私が退職して、自分のブランドを立ち上げると話した時に、

「花さん、私も連れて行ってください」

そんなセリフを聞くだなんて思ってもみなかった。

それでも彼女の存在はとても有り難かった。正直一人でブランドを立ち上げるのは不安だったし、一人でも私の味方がいるというのは心強かった。

「花さんはもっと自分の事褒めた方がいいですって。ちょっとストイック過ぎますよ。たまには自分自身を労ってもいいんじゃないですか」

佐藤さんはよく私を労ってくれる。


最近は早朝に目が覚めてしまう。本当はヘトヘトのはずなのにぐっすり眠れなくなってしまった。そしていてもたっても居られなくなり、会社に来ては、一人泣いてしまう。

たまに自分で、独立なんてしなきゃ良かったって思っちゃう時がある。

それでも私に付いて来てくれた後輩の為にも絶対にこれを乗り越えてみせる!

そう思っていると、急にその後輩の大きな声が聞こえる。

朝早く、まだ電気もつけていない事務所で彼女の大きな声だけが響き渡る。私達の間はお互いが顔を赤くしながら、少し気まずくも暖かい沈黙がその場に流れる。

「そういえば花さんもMs.OOJA好きなんですよね?ブランドが上手くいくように息抜きの意味も込めて一緒にライブ行きませんか?」

佐藤さんからのいきなりの誘いに少々困惑したけれど、すごく嬉しかった。今まで私は息抜きなんてしないでずっと私はよく頑張ってるよ!たまには自分を労うか。


悲しい時も辛い時にも隣には私を労ってくれる優しいこの声があるから。

さぁ、立ち上がって、顔をあげて!

頑張れ、私!

よく頑張ってるぞ、私!


「私自分のブランドを立ち上げようと思っているの」

一瞬花さんの言っている事がわからなかった。自分自身のブランドを立ち上げる?

「じゃあ今の仕事は辞めるんですか?」

「そうなりますね」

花さんはいつもと変わらない淡々とした口調で話していた。私はその瞬間に後先の事なんて何も考えずに、

「花さん、私も連れて行って下さい」

そんなセリフを口にしていた。

花さんはすごく驚いた表情をしていた。まさか私がこんな事を言うなんて思ってもいなかったのだろう。


それでもやっぱり今のこのアパレル不況の中、ブランドを立ち上げるというのは難しい事なのかもしれない。そもそもアパレルブランドは二年以上継続する事自体が難しいと言われている。私は自分の決心が正しいのか正直わからず悩んでいた。ブランド立ち上げたばかりの頃、商談のアポすら取れない日々だった。商談を取ろうと飛び込みで営業に行ったり、昔のツテを使って商談しようとするも意味はなかった。挫けそうで、辛くて、心が折れそうになっても、なんとか頑張れたのは、いつもすぐそばに花さんがいたからだ。

花さんの、その瞳は真っ直ぐにただ、前だけを見つめていた。その姿を見ていると不思議と私にも力が湧いてくる。

花さんのブランド「fleur」は私と花さんの、二人の道を照らす光だった。


最初こそ苦戦していたが、やっぱり「山田花」というブランド力はすごく大きかった。次第に多くのスポンサーがつき始めてくれた。私と花さんもようやく一安心、これからだ、という時に想定外のハプニングが起こった。新型コロナウイルスの感染拡大が始まったのだ。それまでは順調に進んでいた商談も一斉に話がストップし、スポンサーを降りたいという企業も後を絶たなかった。

それまで順調に進んでいただけに不安は大きかった。心無い酷い事も言われ、正直精神的なダメージもかなり受けていた。吹き続ける逆風は私達の身を削っていた。それでも花さんは自分も辛いはずなのに、私には弱っている所をみせなかった。それでもやっぱり花さんが辛い時は同じように胸が痛かった。

コロナショックは私だけでなく、アパレル業界全体に大きな衝撃を与えた。中国の工場がストップし、服を作る事もできなくなり、「ステイホーム」という言葉が合言葉になってから、街の人々は家に篭り、服を買うという習慣がなくなり始めていた。その結果、多くのブランドが倒産に追い込まれていった。その中には有名ブランドもいくつか含まれていた。

有名ブランドが倒産するとSNSでは、

「ショックすぎるー!」

「もう買えないと思ったら悲しい」

「思い出のブランドが無くなってしまってショック」

そのようなコメントが多く見られた。


またコロナウイルスは多くの人の命も奪い続けている。その中には有名人も含まれていて、有名人の訃報を聞くとSNSでは、

「ショックすぎるー!」

「もう観られないと思ったら悲しい」

「思い出の人が亡くなってしまってショック」

そのようなコメントが多く見られた。


私はこのコロナウイルスによって、今まで当たり前にあると思っていたものが急に消えるという事を学んだ。

だから私達はこの「今」を大切にしないといけない。

「今を大切に生きろ」

そんな言葉が軽く感じていた私だけど、このコロナウイルスをきっかけにその言葉の重みを知る事ができた。

好きなブランドが無くなってから、「好きでした」なんて言ってももう遅い。もうその言葉は一生伝わらない。

好きな人が亡くなってから、「好きでした」なんて言っても意味がない。もうその言葉は一生伝わらない。

「好き」って気持ちはこの「今」伝えないと意味がないんだ。

花さんが昔オススメしていたブランド、今でもずっと大好きなブランドが倒産したというニュースを見て、私はそんな事を思った。


翌朝、少し早めに事務所に行くとそこにはすでに花さんの姿があった。

その背中は少し弱々しく見えた。泣いているんだとすぐにわかった。

「fleur」は私と花さんの、二人の道を照らす光だ。

数えきれない涙を超えてきた、私にとってのヒーローがいま苦しんでいる。

いま叫ぼう、心のままに

解き放とう、心のままに

「好き」って気持ちはこの「今」伝えないと意味がないんだ。


「私ずっと花さんに憧れてました!今こうして一緒に仕事を出来る事が本当に幸せです!」


朝早く、まだ電気もつけていない事務所で私の大きな声だけが響き渡る。私と花さんはなんとも言えない気恥かしい状態でお互いが顔を赤くしながら、少し気まずくも暖かい沈黙がその場に流れる。

「そういえば花さんもMs.OOJA好きなんですよね?ブランドが上手くいくように息抜きの意味も込めて一緒にライブ行きませんか?」

私はその空気を強行突破するように花さんを誘ってみた。


「今回のライブは中止になりました」

彼女はしばらく何も喋らなかった。いや、喋れなかったのかもしれない。

正直今回のライブ中止を彼女に伝えれば、彼女がどんな顔をするか、どんな気持ちになるのか。すぐに頭に思い浮かぶから辛かった。でも今回はしょうがない。事情が事情だ。それは彼女も、自分達もみんなわかっている。でもどうしようもないからこそ、やりようのない、ぶつけようのない怒りのような気持ちが溢れてくる。

彼女は歌を歌う事が生きがいだ。自分の言葉を歌に乗せて人々に伝える事が天命だと思っている。彼女にとって歌は呼吸のようなものだ、なくては生きていけないもの。そんな彼女の歌う場がなくなった、そう伝えるのはあまりに辛すぎる。彼女にとって今回のライブはいつもとは違う意味合いを持っている。今回のライブは彼女にとって初めての凱旋ライブだった。


彼女を初めて見た時の事は今でも鮮明に覚えている。いや、忘れられない。

知り合いにクラブを経営してる友人がいて、その友人に一度は来てみてくれと、誘われて行ったクラブで初めて彼女を見かけた。その時は完全にレコード会社の看板はおろして、ただの素人としてクラブに行ってたから酒をけっこう飲んでいた。でも彼女を見た瞬間、酔いは覚めていった。それは彼女が歌う前からだ。

スラっとした長身で、綺麗な緑色のワンピースから伸びた長い手足はまるでモデルのようだった。

まだ表情にあどけなさや、若干の幼さこそ残していたが、ステージでの堂々とした振る舞い、そしてなによりも歌の上手さに度肝を抜かれた。

僕はこの時から彼女に夢中になっていた。

彼女は絶対に歌手にならないといけない人だ。彼女の歌をたくさんの人に届けないといけない。そして、彼女の歌をたくさんの人に届ける事こそ自分の天命だとも思った。

酔いこそ覚めていたものの、真っ赤な顔で僕は彼女に挨拶した。僕が挨拶をすると、彼女はめんどくさそうに広角と目尻をわずかに上に上げた。どうやら彼女なりの苦笑いらしい。完全に怪しまれてるから、たまたま持っていた会社の名刺を渡す。せっかくおろしていた看板をもう一度背負い直す。僕はどうにかこうにかして彼女を口説き落とした。その頃の話をするといつも笑い話になる。


デビューしてまもなくは順調に進んでいたけど、四年ほど経つと彼女は大きな悩みを抱えているような気がした。彼女はとにかく歌が大好きだ。それゆえ彼女は歌に対して常に全力で挑んでいた。歌に対して常に万全な状態で挑みたいと思っているから、ほとんど遊びに出かけることもせず、飲みに行く事もなかった。家と仕事の往復をするだけの生活をしていた。

そんな常に歌に対して肩肘を張りすぎて、ストイックになりすぎていた彼女はいつからか、詞を書く事が出来なくなっていた。

気を張りすぎて、無理をしているのは明らかだった。

彼女の相談に乗ろうとすると、

「もう書く事がない!」

珍しく彼女が大きな声を出した。

いつも冷静な彼女がやけに感情的になったのがすごく印象的だった。彼女がこんなに感情を露わにするなんて、いま思えばそれぐらい追い詰められていたんだと思う。

この時彼女の心の中で”カラーン”と鐘の音が聞こえたそうだ。その鐘の音が一体なんの音だったのか、僕にはわからないけど、彼女自身がゴングの音を鳴らしたんだと思う。力を振り絞って、自分自身を奮い立たせたんだと思う。

お互いいろんな事を話して、それからは今までやってこなかった仕事にも挑戦するようにした。人との付き合いが広がったのも良かった。彼女も自分なりにインプットを増やそうとしているんだなって思った。それからの彼女はより一層輝いた。

彼女は気づいたんだ。

とにかく楽しんで歌う事が一番大事、だという事に。

技術ももちろん大切なんだけど、それよりも自分自身が楽しむ事、伝える事を重視する事が大切で、もっとありのままで歌っていいんだという事に。


だから彼女の歌には強い言霊が込められている。

彼女はいつも言う。

「ただただ言葉を並べているんじゃ”私”が歌う意味がない。私自身の経験や思う事を言葉にしないと、自分が歌っている意味がない」

だからMs.OOJAの歌を聴いていると心が揺らされるんだ。

彼女の歌はアンセムだ。

毎日を葛藤しながら生きている、そんな人達に声を代弁して歌う事で、みんなを応援している。


当たり前のように自分と会ってくれる人がいるだけで、それは奇跡だという事。

人生、なんでもかんでも欲しいものが簡単に手に入ったんじゃつまらない。毎日の人知れぬ苦労や辛さがあるからこそ、些細な楽しさや愛を知れるという事。

理想よりも大事なものがあるという事。

自分を非難する声なんて気にする事ない。それよりも自分を勇気づけてくれる声、元気づけてくれる声、そんな声が案外周りに溢れているという事。

たまには自分を認めてあげてもいいんだ、褒めてあげてもいいんだという事。

好きな人にはいま「好き」と伝える事、今の気持ちを大切にするという事。


僕は彼女と彼女の歌からそんな事を教わった。

僕はそんなMs.OOJAが好きだ。


彼女はライブを楽しみにしていた人達にせめてメッセージだけでも伝えたいとお願いしてきた。彼女は本当にファンの方達を大切に思う、その気持ちが痛いほど伝わってくる。

そして彼女は歌でメッセージを伝えたいと言って、急遽インスタライブで一曲だけ配信する事にした。

「歌でメッセージを伝えたい」か、本当に彼女らしい。シンガーソングライターではなく、まさしく歌手だ。

彼女が選んだ曲は「NEW DAY」

それもまた、本当に彼女らしい。

 

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ふいに強い風がふいた

なぜか涙溢れていた

私はこんなに弱かったの?


今日もまた


テレビから流れてくるのは

辛く悲しいニュースばかりで

やりきれない気持ちになるけど


大丈夫さ


いつか必ず

たどり着くから

その足を止めないで


答え出すことが大事なら

生きることは難しいよね

全て報われるわけじゃない


それでも


冷たい人混みの中だって

探し続けてた温もりが

そばにあるなら生きていける


晴れ渡る空 遮るものは

何もないから

その足を止めないで

いつか必ず

たどり着くから

ほら 新しい朝はそこに来てる


正しいことだけを選んで行くのは

簡単じゃない

間違う日もあるよ

でもそこに“思い”があるなら


大丈夫さ


いつか必ず

たどり着くから

その足を止めないで


晴れ渡る空 遮るものは

何もないから

その足を止めないで

いつか必ず

たどり着くから

ほら新しい朝はそこに来てる


晴れ渡る空 遮るものは

何もないから

その足を止めないで


いつか必ず

たどり着くから

ほら 新しい朝はそこに来てる

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不安でどうしようもない時。

彼女の「大丈夫さ」を聴いて、

いったい何人の人達が救われたんだろう。何人の人達が前を向くことができたんだろう。

彼女の「その足を止めないで」を聴いて、

いったい何人の人達が歩き始めたんだろう。何人の人達が歩き続けたんだろう。


彼女の歌を聴いて、

いったい何人の人達の人生が変わったんだろう。


いま目に見えない恐怖に怯えて、毎日を不安で過ごす中、


大丈夫さ


私達にいま一番必要なのはこんな簡単な言葉なのかもしれない。

 


ほら、新しい朝はそこに来てる。